西原台団地自治会
自主防災会

自主防災会たより
平成31年
No85 平成31年 1月 1日
平成30年
No84 平成30年12月26日
No83 平成30年 9月21日
No82 平成30年 8月 6日
No81 平成30年 7月29日
No80 平成30年 6月17日
No79 平成30年 5月 8日
No78 平成30年 4月10日
No77 平成30年 3月10日
No76 平成30年 2月 8日
No75 平成30年 1月22日
平成29年
No74 平成29年12月 5日
No73 平成29年11月 7日
No72 平成29年10月12日
No71 平成29年 9月11日
No70 平成29年 8月15日
No69 平成29年 7月11日
No68 平成29年 6月 5日
No67 平成29年 5月15日
No66 平成29年 4月11日
No65 平成29年 3月 7日
No64 平成29年 2月13日
No63 平成29年 1月18日
平成28年
No62 平成28年12月 6日
No61 平成28年11月10日
No60 平成28年10月12日
No59 平成28年 9月 6日
No58 平成28年 8月 9日
No57 平成28年 7月 5日
No56 平成28年 6月 7日
No55 平成28年 5月10日
No54 平成28年 4月 5日
No53 平成28年 3月 9日
No52 平成28年 2月11日
No51 平成28年 1月 6日
平成27年
No50 平成27年12月10日
No49 平成27年11月 6日
No48 平成27年10月6日
No47 平成27年 9月11日
No46 平成27年 8月 4日
No45 平成27年 7月14日
No44 平成27年 7月14日
No43 平成27年 5月12日
No42 平成27年 4月14日
No41 平成27年 3月 3日
No40 平成27年 2月12日
No39 平成27年 1月 9日
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No38 平成26年12月 4日
No37 平成26年11月11日
No36 平成26年10月 6日
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No34 平成26年 8月 5日
No33 平成26年 7月17日
No32 平成26年 6月 5日
No31 平成26年 5月 9日
No30 平成26年 4月 9日
No29 平成26年 3月 8日
No28 平成26年 2月 8日
No27 平成26年 1月 8日
平成25年
No26 平成25年12月 8日
No25 平成25年11月 8日
No24 平成25年10月10日
No23 平成25年 9月 5日
No22 平成25年 8月 7日
No21 平成25年 7月12日
No20 平成25年 6月7日
No19 平成25年 5月 8日
No18 平成25年 4月 5日
No17 平成25年 3月 8日
No16 平成25年 2月12日
No15 平成25年 1月11日
平成24年
No14 平成24年12月10日
No13 平成24年11月 9日
No12 平成24年10月 5日
No11 平成24年 9月 5日
No10 平成24年 8月19日
No09 平成24年 7月12日
No08 平成24年 6月15日
No07 平成24年 5月11日
設置準備委員会たより
平成23/24年
No06 平成24年 4月10日
No05 平成24年 3月 9日
No04 平成24年 2月10日
No03 平成24年 1月13日
No02 平成23年12月 9日
No01 平成23年11月21日
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西原台団地自治会自主防災会たより
(No58)平成 28 年 8 月 9 日
(前号)
(次号)
【熊本地震震度7の衝撃の証言】
★ NPO日本防災士会熊本県支部の福本雅子防災士が
体験を次のように語ってくれました。
私たち防災士の仲間は、4月14日の前震の翌朝から震源地である益城町で活動を開始しました。
4月16日午前1時26分には、マグニチュード7.3、震度7の本震が襲ってきました。
その揺れは、起震車で体験する震度7とは比べ物になりません。停電で暗闇の中、ベットの足にしがみつき、体が飛ばされそうになる
のを必死で防ぎました。余震で大小の揺れは数十分間続きました。
揺れが収まったとき、常日頃からベット周辺に準備してある懐中電灯、車のカギ、怪我防止のスリッパなどを手探りで探しましたが、何一つ見つかりません。
後でわかったことなのですが、枕元に置いてあった、すべての品は2〜3メートルも飛び散っていて、懐中電灯は真っ二つに割れていました。
壊れた家々を大声で「大丈夫ですか」と叫んで安否確認に回りましたが、障害者ご夫婦宅から返事がありません。
再度、声掛けすると、家の中から返事があり、恐る恐る屋内に入ると奥様が動けなくなっていました。
痛がる彼女の着替えを手伝いながら、119 番に救急車の手配をお願いしましたが、地震の被害で心肺停止の人が多数いるため、来れないとのこと。
タクシー会社に電話して一台だけやっと手配して、直ぐに病院へ搬送を(熊本県益城町〜 ガゼット通信から)お願いしました。治療の結果、数時間後に「鎖骨骨折」と判明し命に別状はなくホッとしました。
益城町の光景は、この世のものとは思えないほど様変わりしていて、二階建の家はつぶれ、三階建のビルは逆さまにひっくり返っていて、道路には多くの隆起や亀裂があり、続く余震で拡大していきました。
数日間、防災士仲間と避難所や被災地の情報収集に回りました。避難所だけではなく、公園や空き地にも車中泊の車がいっぱいでした。
各家を回り、「ボランティアが手伝います」とのチラシを配りました。中には怪訝そうな人もいましたが、「私も益城の旧姓寺中です」と言いますと、すぐに心を開いてくれました。
被災者のニーズも徐々に増え、全国から集まった防災士達はじめボランティアの皆さんと一緒に、落ちた瓦の除去や倒れたブロック塀等の片付けを手伝いました。
日頃から防災グッズを自宅と車の両方に分けて準備していたことで、衣類を持ち出せなかった他人にも提供できたこと、自宅の食器棚、本棚等を突っ張りをしていたので転倒はなかったこと、また、お風呂に水をいっぱい貯めていたので、震災後の水道が止まったあと!"トイレの水には困らなかったこと。
自宅のライフラインが回復するまで10日間かかりました。水や食料を3週間分ストックしていたので助かりました。日頃から各家庭での防災用品の蓄えは、最低でも一週間分は必要と感じました。
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以上の体験、皆さんはどのように感じたでしょうか? 最大の揺れ震度7は、まさに恐怖!すごいの一言ですね。災害時の救急要請は期待が持てないこと、日頃からの備え、蓄えが必要であること等大変参考になる体験談でした。
【緊急地震速報のながれ】
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緊急地震速報は、地震が発生してから、その揺れを検知し、解析して発表する情報です。
一般に、緊急地震速報を発表してから強い揺れが到達するまでの時間は、数秒から長くても数十秒程度と極めて短く、場合によっては緊急地震速報が強い揺れの到達に間に合わないことがあります。また、落雷等のシステム障害での誤報もあります。
【総合防災訓練の実施予定】
【総合防災訓練】は、9月10日(土)に実施することで関係機関と調整しています。
今回の訓練は、これまで実施している「情報伝達訓練」「避難誘導訓練」「救出救護訓練」「消火訓練」「炊き出し訓練」に加え、避難所運営の一環として、収容人員の検証を実施します。
今年の防災総合訓練についても、これまで通り多くの住民の皆さんの参加をお願いします。
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