---

「 小 さ な 設 立 物 語」

沖縄県高齢者協同組合 二代目理事長 平田亮一


 怖そうな男が1993年の夏、院長室にやってきた。

「病院で死ぬということ」という労協センター事業団制作の上映会と 「尊厳死」のシンポジウムを開きたいから協力してくれという。

熱心に話す趣旨説明の中に、友人の永六輔さんの名前が出たので仕方なく OKしたが、その男とは竹森鋼(現沖縄高齢協副理事長)である。

 シンポジウムの後に、労協センター事業団を中心に高齢協設立の機運があること を知り私もいつしかその輪に加わった。

参加者は2〜3人という趣旨説明会をあるやからで、設立運動はおぼつかない。
でも、1995年9月3日、那覇市民会館での設立総会にこぎつけた。
 全国で2番目に誕生はしたものの、事業はない。

事業所が狭くて理事会もあちこちの無料の施設で開くという始末である。

そのうち、介護保険制度が始まると知り、ヘルパー養成講座を仕事始めとした。

 その後、福岡の労働者協同組合(粕谷郡中高年雇用福祉事業団)を手本にして、 今ではメイン事業となっている宅配給食「配彩」を「料理の彩だけでなく、 安否確認などの心の彩も配る」という方針で起こしたが、
低価格でスタートして笑われてしまった。

案の定、すぐに経営困難になり数か月後には価格を改定したのだった・・・・・・。

 そんな光景が今、一緒に動き回ったかつての理事の顔と共に浮かぶが、 次第に理念を理解してくれる自治体も増え、 今では、那覇、浦添、宜野湾、佐敷、名護、本部、読谷で常に事業が進められ、 事業高1億4千万円組織になった。

まだまだ小さな組織だが、ここまでこれたのも、1,500余名のいつも感謝している。

 小紙は写真を利用して10年を振り返ったものだが、この小さな歴史の冊子が これからの発展の礎になってほしいと願ってやまない。

(沖縄県高齢者協同組合設立10周年記念冊子に寄せられたものです)