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「配食サービス事業に係わるスタッフの思い」

【配彩やんばる事業所】

●私は、食に携わる仕事がしたいと漠然とした理由からのスタートでした。

 ある利用者の家族からの1本の電話が私の仕事に対する気持ちを明確、かつ信念に変えることになり ました。

その利用者の食事内容が、きざみ食からミキサー食そして、さらにソフト食へ日を追うごとに変わって いき、私たちもその方が少しでも食べられるよう家族の方と連絡を取りながら作っていました。

結局、残念ながら自力で食事をすることができなくなりやむなく胃瘻をすることになったそうです。

家族からは「父は胃瘻を開始することになりました。配彩やんばるさんには、最後まで協力して いただきありがとうございました。」という感謝の言葉をいただきました。

 その時、私は「人生最後の食事を私たちがお弁当だったんだと思うと、私たちが手掛ける一食一食の お弁当の重大さがひしひしと重く責任を感じ、利用者様になじみ深い満足のいく食事、そして食べる ことを楽しみにしてもらえる食事を作りたいと、私の座右の銘でもある「気配り、目を配り、そして 心を配る仕事」ができるよう、日々精進してまいりたいと思います。

                         厨房主任 比嘉忍

 ●配彩やんばるで、組合員となって4年になり「協同労働」という働き方をようやく理解し、事業所 運営について自覚を持つようになってきました。私は、厨房スタッフということもあり、直接利用者 の声を聞く機会はありませんが、利用者が安心して配彩やんばるのお弁当を食されるよう、また、 これまで高齢協が20年かけて築いてきた利用者との信頼関係を失うことのないよう活動していきたいです。

     厨房スタッフ 具志堅純子

 ●私は、配彩やんばるのことは十数年前から知っています。なぜなら、主人の母がお世話に
なっていたからです。普通のお弁当から始まりましたが、途中で「歯の悪い母が食べ辛いと言って いる」と相談したらキザミ食という方法もあると知り、それにしたところ、とっても食べやすくなったと 喜んでくれました。その時、この仕事に興味を持ちました。

それで、求人情報誌で配彩やんばるの文字を見た時はすぐに応募したくて電話をしました。

あれから半年たちましたが、いつも思うのは母がいつも美味しいと食べていたように自分が作った お弁当を美味しいと食べてもらえるように、厨房の先輩方に教えを乞いながら、日々協力しながら 頑張っていきたいと思います。

     厨房スタッフ 金城利江

● 配食サービス事業を通して、高齢者や体の不自由な方の役に立てるという仕事に魅力を感じこの仕事に 決めました。一番は利用者の方々に美味しかったとか、健康になったとか、時には厳しい意見も聞き、 それを励みに日々満足させられるお弁当を作りたいと思いながら作っています。

「配彩」を通して利用者の健康面を考慮し、1日に2回の昼食時と、夕食時の配達員による見守りだったり、 声掛けだったり、高齢者や体の不自由な方々の役に立てるということはすごく大きいことだと思います。

今後も、より一層お弁当に気を配りながら作っていきたいと思います。

        房スタッフ 大島美友紀

●私は、高校に通学しながら「配彩やんばる」でお仕事をしています。最初は、単位取得のために このお仕事を始めましたが、腎臓食や透析食など利用者様の体調に合わせた様々なお弁当を作りをして いるうちに、福祉関係のお仕事にも関心を持つことができました。また、自身の学びや喜びにも ?がり、将来も福祉関係のお仕事に就こうと思いました。

厨房スタッフ 木下由香

●想いを「短歌」に・・・
☆ お弁当 届けるたびに涙ぐむ 話しかけたらうれしい笑顔。

☆ ガンバレよ 昔のように 声を出し笑いとばして長生き願い(しよう)。

☆ 寝たふりし 様子うかがいさびしさか 話しかけようか笑顔見たさに。

☆ 足腰が 弱り始めて気が付けば かわい我が子足遠く。

☆ お年寄り 何を考え暗やみに 一人さびしく笑顔なし。

☆ さびしさに 耐えきれなくて笑顔なし 元気付けたく踊って見せた。

 饒平名 友子(元配彩やんばる)

【配彩那覇事業所】

●トークも配達・・・テレビやラジオで、トーク番組が流行っている。トークショウもある。

私にはトーク(遠く)の事だと思っていたが、このごろ、トークを楽しんでいる自分に気が付いた。

お弁当をお届けする時、声をかけ、安否確認をする事も私達の任務だ。十二時半までに配り終えな ければ成らないので、一人ひとりと顔を見て言葉を交わしている時間は短い。私は、この短い時間の
二言、三言でちょっとの幸せを共有させてもらっている。

 配達の途中で雨が降ると、お年寄りは気の毒がる。私としては、雨が降ってもカッパを着れば
“へのカッパ”少しならカッパを着ない。


 「雨の中ありがとう。濡れなかったねぇ?」と声をかけられて、「大丈夫。雨と雨の間を< 走っているから。」と言うと、いつもほほえみ笑いのおばちゃんが歯をみせて笑った。

 地球規模で深く考えさせられる時もある。「雨が少ないし、暑すぎますよね」と
言うと、「仕方ないさー、みんな人間がしてきたことだからねー」と、人生の先輩の一言は重い。

人間の大問題を語らったような気になる。


 教えてもらうことも多い。庭先で所狭しと満開に咲いていた花が、ある日、プッツリプッツリ
切られて裸になっている。「きれいさっぱりになりましたね。」と言うと、「花が終わったら、
こうやって切ってあげると、来年また、きれいにたくさん花をつけるさー。」と、園芸の知識まで授かる。


時間は、短いけれど、楽しい。これからも、二言、三言トークを楽しみながらお弁当をお届けし
たいと思っている。

   玉代勢 慈 子(元配達スタッフ)

 ●ドライブはいかが?・・・私のドライブコースご一緒しませんか?自称「山手線」配彩コースです。

ちなみに今日は夕食コースをご案内いたします。


 「配彩」を出るとすぐマダム○○さん、それからトンネルです。でも抜けたら雪国でなくパイプラ イン、ここの信号待ちで今日の配達を今一度確認します。○○さん、退院されて二か月ぶりだなーと、 お顔を思い出しながら二号線を右折、新都心に入ります。そこで一軒、次に58号線を超えます。
この辺は、宅急便、ミキサー車、路線バスと、素人の私は少々緊張します。でもその後がいいのです。

泊大橋のてっぺんまで来てごらんなさい。右手の東支那海、今日は静かな凪です。

その延長線、今まさしくかの地へ飛んで行くジェット機が水平線一五度位に見えてきます。

私もあれに乗って旅人になりたーいと、しばしばです。

 
あ、これって配彩を出る時間にもよります。それから西町ここで二軒。

次に久米町です。四件あります。


久米は二〇数年前、新婚生活をスタートさせた想い出のアパートもあり、 がぜん張り切り、気持ちは二〇代です。さぁーと配り終え、明治橋を渡りがジャンビラ、 航空自衛隊を右手に金城町で一件、山下町で二軒、田原で一件、それから宇栄原団地です。

○○さんはA棟の4階上がった時は息もキレギレの私に、「ありがとうございます。

明日もよろしくお願いいたします」と必ずおっしゃいます。


よし、明日は呼吸を整えて、おしゃべりしましょう。団地を出てOさん、奥さまが明るくて いつも元気をもらいます。それからNさん、アチビーがお好きです。アチビーがお好きです。

さあフィニッシュ!奥武山から那覇大橋を渡ると、もう、とよみ大橋のライトが漫湖に写りとても きれい。一日の仕事を終えった充実感が拡がります。でも、神様どうぞ、この先ひめゆり道りが 混雑していませんように・・・。

       松田 以都子(配達スタッフ、現配彩あわせ厨房主任)


●琉 歌(働けるまで働きチャーガンジュウ)の巻
☆ 配彩弁当 配る嬉(うり)しさや
  うまんちゅぬ笑い ちむうりしさや
☆ ちばらりるうちや ちむん若々とぅ 
仕事うみはまてぃ がんじゅうなゆさ
☆ 仲間うちするてぃ ぬむるうれしさや
  黄金(くがに)よりまさてぃ 薬(くすい)なゆさ

(定年後に寄せて) 新垣 恵次(配達スタッフ)