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配食サービス事業の事例集 、いま、昔
配食サービス事業の事例集
つたない文ではあるけれど
高齢者の方々、そして、障害を持つ方々への
日常生活を支援する事業として、
配食サービス事業を実践し、
「配彩4事業所」スタッフが体験した
すべてが真実のドラマであり、
それにまた、在宅福祉に関心をいだく、
すべての皆様へお贈りする
心と愛のメッセージ
【配彩那覇事業所】事例集
●5/31雨 午後12時15分頃 「○○さん、配彩弁当です」と声をかけながら部屋へ入り、何時も
のように弁当をテーブルに置き、体をトントンと合図しましたが、反応がありません。 また、いつ
もと違う大勢で仰向けになって、失禁も見られました。
もう一度、○○さんと声をかけながら体を軽くたたいて看ましたが反応がありません。呼吸はしていました。
安否確認マニュアルに基づいて所長へ連絡、その対応を現場で引継ぎ、救急車の手配をお願いし次への
配達先へ向かいました。
●○○さん宅には、何時もの時間帯で着いたのですが、鍵がかかっていて、呼びかけても返事があり
ません。事務所へも報告、デイサービスへでも出かけたのかと思い、ひとまず次への配食へ車を走ら
せました。
それらの配達を済ませてから再度○○さん宅へ戻り声をかけ詮索しましたが相変わらず返事がありません。
行きつけのデイサービス施設からはどこにも出かけないはずだがと。
預かっている鍵があるとのことでそれを使って部屋に入ると、ベットでぐったりしてびっくりしました。
「どうしたんですか」と声をかけると、「朝起きてトイレに行こうとすると、ふらついて転んで、
後は覚えていない。
一日中食事もしないで寝ていたとの事です。
しばらくしてヘルパーさんが来たので任せて帰りました。
翌日状況を聞きましたら、一晩は入院して、良くなってデイ
サービスに通っているとの報告を受け安心し、良かった良かったと胸をなでおろしました。
●1月1日の昼食弁当配達時、声かけしていますが、本人が出てこないとの配達員から連絡を
受け、所長が急遽当事者宅へ。
しかし、寝ているのは確認出来、声かけたら寝返りはするがなかなか起きてきません。
一旦弁当は持ち帰り、弟さん、ケアマネージャーに連絡するが(正月元旦で)繋がりません。
このままでは、食事もとらないで、ずっと寝ることになり気がかりで、役所の担当に連絡を入れて
他の連絡先を捜してもらいました。ようやく弟さんに連絡がとれて、云うには「朝、兄のところ
に行ったが寝ていて帰ってきた」との事でしたので、弁当をもっていってくれますかと(正月1日
は夕食は休み)夕食を調理し電話を入れましたところ、ヘルパーさんがいて、直接持参し配食した
が本人は自覚がありません。
夕方にケアマネージャーから連絡があり、今までの事を報告して、今後どうすれば良いかと相談しま
した。ヘルパーさんが使っている鍵を使わせてくれることになり、安心して配食することが出来るよ
うになりました。
●歯科医院に通っていますが、配彩弁当さんは、その症状に合わせて、柔らかく調理してくれる。
本当に助かっています、ありがとうの感謝の言葉をいただきました。
●「うりうり」と、配達員の来るのを待ち受ける様に黒糖を小分けした袋を差出し、
「暑いのにあんた達も大変ねー」、「キヨさんが待っているからね」と返したら、「毎日こんな
かっこよー」と下着姿。いわく「家(や)―うーてーしまびんようー」とにこやかに話します。
●○○さん配彩弁当を利用していますが、心臓の病で通院中、主事から食事のバランスが良いと
いわれたとして、声を弾ませ笑顔で話してくれました。
●○月○日(浦添コース) 三か所弁当を変えてみたんですが、おかずが充実して美味しく、
いつもメニューが変わってとてもいい。隣近所にもおすすめしていますとの事です。
●○○さんが、配食をしばらく中止していましたので、どうしていらっしゃるかなぁと気にかけ
ながら当人宅のそばを通っていると雨が降り始めていて声を掛けると、今干したばかりよと。
話しこんでいたら、「歯も良くなったのでお弁当明日から届けて」と注文が入りました。
●○○さん(浦添) 何時もの時間帯でお弁当を届けに行きましたが留守で、一巡した30分後も
在宅確認できません。一旦事務所に戻り、電話を何度も入れましたが安否確認が出来ませんで
したので気になり、再度自宅を訪ねたところ息子さんが居合わせて、尋ねると、入院することに
なったとの事でした。
(退院して弁当が必要になったら電話ください、お大事にね」と息子さんに伝え、私も御役目御免
で帰路に。ひとまず安堵です。
【配彩やんばる事業所】事例集
●2013年7/1より名護市役所のお願いで看取りの為の配食を行いました。
その利用者はもう命も長くなく、利用者本人も治療より家で過ごしたいという意思だったので、本人
の意思を尊重して、名護市とケアマネージャーと「配彩やんばる事業所」が連携して、利用者の
「その日」まで面倒を見ることになり、本心は怖かったのですが、みんなで頑張ろうということ
になり配食しながら安否確認を徹底して見守りを行いました。
でも、結局最後は病院に搬送されることになりそのまま息を引き取られました。これまでに
ないケースで戸惑いもありましたが、「配彩やんばる事業所」にとって良い経験になりました。
なにより、私たちを必要としてくれたこと、また、そのことに応えられたことがうれしく
思うと同時に今後の励みにもなりました。
●2014年5月、夕食のお弁当を配達するため、利用者宅を訪問しました。
いつも受け渡しする部屋にうち鍵がかかっていたため、本人の指定で「表に鍵がかかっている場合は、
裏口を開けたところに置くように」と言われているのでそのようにしました。
テレビはついていましたが本人の姿は見えず、声をかけましたが返事はありませんでした。
事務所へ戻り、他のスタッフに応援を頼み、再度、利用者宅を訪問しましたが、辺りは暗くなり
始めているのに部屋の明かりはついておらず、先の状況と一緒でテレビだけが付いていました。
不安になり声をかけながら部屋中を捜したところ、以前、本人がやっていたというスナックの部屋
からかすかに声が聞こえたので入ってみると、カウンター横の冷蔵庫の前で転倒し動けなくなって
いるところを発見しました。
本人に声をかけると意識ははっきりしていましたが、起き上がれないということだったので、
救急車を要請しました(午後8時頃 沖縄県立北部病院へ搬送)関係機関へ連絡をするべきでしたが、
夜間ということもあり、連絡が取れない状態なので翌日連絡することにしました。
また、家族も本土に住んでいるということなので、本人の様子から判断して、家族に不安を抱かさない
ためにも、その日に連絡するのはひかえました。
翌日(土)、市役所や担当ケアマネージャーに連絡するも、土曜日ということもあり、連絡がつきません
でしたので、連絡員である港区の民生員の津波さんへ報告し、ケアマネージャーと、家族への連絡を
お願いしました。
●2014年8月、名護市幸喜に住む利用者が、夕食配達時に具合が悪いと訴えたので、緊急連絡先である
甥に連絡を取りました。結局その方は病院に搬送されたそうです。その後10日ほどで退院す
ることが出来大事に至りませんでした。
今後のことを話し合うために、担当者会議が開かれその中で、ケアマネージャーの方から
「今回の件は、配食サービスがあったことで早目に対処することが出来ました。
助かりました。との言葉をいただきました。
●2014年10月 ご利用様は、足が不自由のため配食時はいつもベッドで寝ていらっしゃいます。
配達員が「お弁当です」と声かけると、すぐに起きてくれます。
お名前を呼んで「お弁当ここへ置いておきましょうねぇ」と声をかけると、ご利用者様は
「弁当持ってきた。
ありがとう、ありがとう」と、いつも言って下さいます。弁当をご自身の顔に近づけて、
中身を確認しています。
配彩弁当を毎日の楽しみにしてくださっているかと思うと、とても嬉しく思います。
●2014年12月 隣のおじさんがお弁当をとっていて、利用者からいつも所定の場所に置くよう
言われているため、利用者に声をかけながら所定の場所に置き、事業所に帰ってきました。
「やっぱり気になるので、確認してほしい」と言われ、再度訪問したところ、玄関は真っ暗
お部屋の電気のスイッチを捜して、ベッド(寝室)、トイレ、お風呂場を確認したところ何処に
もおられなかったので、家の外から洗濯干し場へ行ったところ、洗濯干し場に倒れておられた
のでびっくり!すぐに、緊急連絡先である娘さんへ電話連絡、同時に、救急車を呼び、利用者に
バスタオルをかけて救急車が来るのを待ちました。
娘さんの仕事が終わるのが遅いため、「早目に発見していただきありがとうござす」
と感謝されました。所長がいつも言っている安否確認の重要性を改めて痛感しました。
●2015年11月 配食をしている明星保育園の園児たち(18名+保母さん7名)が「配彩やん
ばる事業所」を訪れ、毎日のお食事のお礼と、自分たちがいつも食べているご飯はどのように
して作ってくれているのかを見学に来ました。
毎年11月になると、園から1時間程かけて歩いて来てくれます。
「いつもおいしいごはんを作ってくれてありがとうございます。
」
とかわいい声でみんなからあいさつがあり、その後記念撮影をしました。


●2015年11月 名護市内の利用者宅へ配達した際、中から「助けて」との声が聞こえ、ドアを開け
ようとしましたが、中から鍵がかかっていたため開けることができませんでした。
その旨を事務所へ連絡し指示を仰ぎました。
担当のケアマネージャーへ連絡するも不在で連絡がつかなかったため、とりあえず階下に住む大家さん
へ鍵を開けてもらうようお願いしましたが鍵が合わず、管理会社の不動産屋さんへ連絡して開けても
らったそうです。
配達員から連絡を受けたあと、管理栄養士の仲間さんも利用者宅へ急行。
一緒に中を確認したところ台所で倒れ、動けなくなっていたそうです。
本人は元気だったが股関節骨折で救急搬送したそうです。本人曰く「誰か来たとき助けを呼ぼうと
待っていた。」とのこと。
どれくらいの時間そうしていたのかはまだわかってはいませんが、配食のあった日で本当に良かったと
思いました。その後、ケアマネージャーさんより「スタッフのみなさん本当にありがとうござい
ました。とお礼の電話がありました。
【配彩ナビィー事業所】事例集
●2014年12月 ご利用様へ、お弁当をお渡しするさい、毎回、手がとても冷たいので手を握って
「温めてくださいねぇ」と声掛けをしていたのですが、今回はご利用者様へ試してみてくださいと、
使い捨てカイロを手渡し「どんなですか?温かいですか?」と尋ねると、とても喜んだ様子で
「温かい」と言って下さいました。少しでも、手の冷えがなくなれば良いなと思います。
●2015年1月 この間、運転免許切り替えのテストもすんなり出来て・・・、健康診断を受け
ても結果がとても良かったと喜んでいました。毎日配彩お弁当を食べているから健康なんだ
ねーと話していました。
●2015年4月 読谷村へ弁当配達時、ご利用者の方が、発熱されてとても具合が悪い様子でした。
その方は一人暮らしの方なので、とても心配になり、飲み物を購入し再度自宅を訪問したのですが、
応答がないので窓から室内の様子を確認すると、寝ていらしたので起こさず事務所へ戻り、民生委
員の方へ連絡し対応をお願いしました。次の配達時には、回復されており民生委員に連絡して
くれたことに大変感謝していらして、何度もお礼の言葉を言われていました。
●5/7○○さん(名嘉真)が配達時に、家の外に座り込んで動こうとしないので心配になり、
福祉課へ連絡しました。その後、社協の宇江城さんより連絡があり配達員がその時の状況を
説明しました。
現在は、一人で外出する危険性をなくすため、ドアに鍵が取り付けられています。
●○○様は、配達時、窓も閉めきって扇風機もつけてない状態で、蒸し暑い部屋の中で横になっ
ていたとのことで、熱中症にならないかと、配達員は心配していました。最近は、窓は開いて、
扇風機はつけていますが、室内温度は高い状態です。これからの季節、注意深く見守る必要があ<
ると思います。
●○○さん(喜瀬武原)の息子(次男)が亡くなったそうです。配達時に娘さんが話されていました。
その後食欲もないようで息子さんを亡くしたことがとても急な出来事だったので、なかなか受け入れ
きれない様子でとても落ち込んでいます。
配達員へ、亡くされた息子さんの話をよくしているようです。話し終わると少し笑顔を見せてく
れるとの事で、今後も声掛けし見守っていきたいと思います。
●○○さん(恩納)が配食時、ベッドで頭まで毛布をかぶっていらっしゃったので、何度か「○○さん
お弁当です」と声をかけると「はい」と毛布から顔を出して「ありがとう」と応えてくれました。
体調が悪いのかと心配しましたが、寒くてくるまっていたようで、安心しました。
●配食時、○○さん(名嘉真)は電気ヒーターをかけすやすや眠っていました。「お弁当です」
と膝をトントンとすると起きてくれました。
お弁当を○○さんに近づけて見せてあげると、「弁当ですか?ありがとう」と言って下さいました。
●○○さん(前兼久)はゴミ出しの際に、何かにつまずいて転んでしまったとのことで、すぐに病院へ
行き傷の手当てを受けたそうです。骨折はなく安心しましたが、打撲がとても痛々しく配達員が「骨
折がなく良かったですね、寝たきりになってしまいますと大変なので、ゆっくり確認しながら歩いてくだ
さいね」と声をかけると、「気をつけないとねー」といつもの様に笑顔で答えました。
その日の翌日は、お友達と談笑するなどして元気そうでしたので安心しました。
今後の体調を確認していこうと思います。
●○○さん(喜瀬武原) 病院から帰宅したばかりの様子で、傷の治りが悪いとおっしゃっていたので、
配達員が「ゆっくり、ゆっくり治るようー、大丈夫です」と声をかけました。お弁当の量はどうでし
ょうかと、お聞きしたところ「大丈夫よー、残さず毎日食べているよ、あなた達の弁当美味しいのに」と
言って下さいました。早く元気になって欲しいです。
●○○さん(谷茶) 最近痩せた感じがします。
「信子さん大丈夫ですか?ご飯食べれれていますか」と配達員が尋ねると「ううんあまり。
手がしびれている」と目を閉じたままお話されていました。「頑張って少しでもいいから食べてく
ださいね」と声かけると、「ありがとう」と言われていました。最近は、お孫さんたちもよく訪ねて
来ているとのことで、以前よりも良くなっているとのお話を家族の方がされていたので、少し安心しました。
●○○さん(眞栄田) 配食時、門の鍵が閉まっていて、少々声を大きくして呼びかけても返答があ
りません。
娘さん(緊急連絡先)へ連絡し状況を伝えました。「すいません」と本人が元気に家から出てこ
られたのでとてもホッとしました。
●○○さん(安冨祖) 「お弁当です」と声をかけると「ハーイ置いておいて」との返事。
いつもなら玄関の方まで受け取りにいらっしゃるのに、今日は返事だけなので、配達員がアラサキさん
「お弁当置いておきますね」と声をかけると「ちょっと!」と奥の方から声が聞こえたので、配達員が
様子を見に行くと当人が倒れていて、「起こしますか?」と声をかけたのですが、とても具合が悪い様子、
至急救急車を呼び対応しました。
その後、息子さんへ何度も電話を掛けたのですが、その日は連絡が取れませんでした。
翌日からしばらくの間は配食休止にしました。
●○○さん(仲泊) いつも元気です。
お金のことを気にして配食日を減らしたのですが、家族から連絡があり、「本人にはお金のことは
心配しなくていいから、健康を考えてお弁当をきちんと食べてほしいから、そのまま続けて欲しい。
と伝えたので、今まで通りの毎日の配食でお願いします。」とのことでした。
明忠さんに、「こんなに貴方のことを思ってくれる方が近くにいるなんて、お幸せですね!」と伝え
ると、首を横にしながら、ちょっと照れくさそうに、嬉しそうな笑顔をしていました。
●「ノブさん(恩納)、お弁当ここに置いておきますねー」と声を掛けると、「今日、お弁当あるん
ですか?」と言われたので、「はい、今日は木曜日なのでお弁当の日ですよ」と応えて、何時もの様
ノブさんの手を握って帰りました。
●タケさん(前兼久)曰く「デイサービスが、無い日は何もすることがないから・・」と寂しそうに
話されたので、配達員が「お弁当配達の時は、少しでもお話しましょうね」と声を掛けました。
タケさんは、歩くときに転んでしまわないかと心配で、外を歩くのが怖いと話されています。
●○○さん(谷茶) 配食時、少し部屋が暑かったので、窓を開けてきました。
食事が準備されていたのですが、食べてない様子でした。
お水を飲んでいたので少し安心しました。
●南恩納村老人会より忘年会用弁当100食の注文です。
9月に行った同地域の豊年祭の「配彩弁当」の評判がとても良かったとの評価を受けたものでした。
とても嬉しく、やり甲斐を感じました。
また、宜野湾記念病院松田さんより、退院予定の方への6日間の配食の依頼があり、看護・静養の
お手伝いも担っている「配彩事業」に誇りを持ちました。
【配彩あわせ事業所】事例集
●「お薬飲みましたか?」のメモ書き添えて、何時も気にかけながらお弁当を届けています。
ありがたいと、ご利用者は感謝状をもらうしぐさで弁当を受け取ります。
●2015年12月、沖縄市のOさんから、病院での検査結果が良くなってきて、先生に聞くと
「配彩弁当」の食事を食べているから良くなっているんだよ!と言われた、と話していました。
私も嬉しくなりました。
「高齢者宅配給食事業の“配彩”とヘルパーステーションの
担当者とのさわやか 愛の連携プレー・・!」
高齢者の日常生活支援事業としての宅配給食事業は、毎日毎日が高齢者自身の人間としての生きざまを
いた反映したドラマの連続です。
マンションに住む、Tさん宅は3階の左側の端っこ。
Tさんは独居高齢者の上に全然身寄りが無い天涯孤独・しかも御病気の方です。
その日、入口のドアーに鍵がかかって弁当が渡せません。
何時もは、ドアーを開けて中のテーブルまで運ばないと歩行さえ困難なTさんです。
以前の事もあり、直感的に胸騒ぎを覚え心配して部屋の中のかすかな気配も逃すまいと>
必死になって安否の確認をして居て察知した結果、どうやら予測心配した通り部屋の中で
Tさんが倒れている気配であります。急病の発作や、倒れる事故は「場所を選ばず・
時を選ばず」と言います。倒れて居る状態や状況がつかめない分、真剣な必死な声が飛びます。
「Tさん・Tさん!大丈夫ですか、どうされましたか?・・・」。
すると声にならない声で「ウォー、ウウ」と言ううめき声がそれこそ細かい声で、返ってきます。
以前も、ベットの下に倒れているのが発見され事なきを得たことがあり経験済みとは言っても
人間の生死にかかわる重大問題です。配達担当者は的確に処置します。
マンション管理者へ鍵の交渉を試みたのですが、管理人が見つかりません。
仕方なく、鍵屋さんに来ていただいてドアーを開けてもらいTさんをベットに運び、現場の状況を
掌握した後に事の次第を事務所と、緊急の連絡先へ連絡。身寄りのないTさんは、ヘルパース
テーションのHさんが普段の面倒を見ているついでに緊急の際の世話も引き受けたのでしょう、
利用申し込み書に記入されているそのヘルパーのHさんへも連絡しました。
宅配途中のこの事件、事務所の応援の到着を待って配達担当者は残りの給食を抱えてジリジリ。
30分を待たず応援到着、Tさんを引き継いだ配達担当者は宅配再開です。そこへヘルパー
ステーションの担当者が駆けつけて下さいました。
以前倒れたときも頭を打ったようですが、今回もどうやら頭を床に打ったようです。
観察を続けていたヘルパーさんは、救急センターへの搬送は必要なしとしながらも入院を薦めました。
そのうえで、ヘルパープログラムの再計画の必要性とプランの練り直しを話し合い、Tさんを挟んで
日々の給食とヘルパー体制の連携プレーのものがたりです。
「戦争の花嫁?子育てを終えて・・・」
女2人の4名の子を育てあげ、これからが人生我が世の春と気を許した途端に心臓病?からくる足をや
られ立つことも歩行することもままならず、とうとう宅配給食をお願いすることになりましたと、
ろれつが不自由そうな口ぶりで話します。
戦前、親同士が決めた結婚相手の夫君とは一夜の枕を共にすることなく「戦場へかりたてられて、
別れ別れ・・・」になりました。戦後、拾った命と戦地から戻って来た夫君がいて戦禍で全て
何にもない時代でしたが貧乏でも幸せでした。
子供達をそれぞれ大学までだして、夫君が病気で亡くなる前に購入した道に面した土地に鉄筋コンク
リート2階建を建設して「まさに、我が世の春・・・」と、楽しみと喜びを描いたそのとき、体のガタが
はじまりました。夫君亡きあとも、戦争の花嫁だった気丈夫な母親は貧乏ながら立派に子育てをやり
とげ自分の人生の意義をまさぐるように淡々と話します。
長女は今はやり(流行)のコンピューター学院の教務で優れ者、離れて暮らす母親にせっせと手料理>
を運んでいたようですが、自分の家庭や仕事で疲労困敗していたところへ介護支援センターの看護婦
さんから薦められて“配彩”へ申込みとなったものであります。大都会のど真ん中で、今の暮らしから
は想像もできない長い苦い貧乏と、わびしい苦労のなかからやっと見いだした幸せを宅配給食の
“配彩”がささやかに支援します。
「教育一家の母、5名の子が教員へ・・・」
先立った夫君が教員だった事もあってか、5名の子が教員でしかも皆職場結婚でしたから集まれば
10名が10名みんな教員ばかり。ひともうらやむ教育一家であります。長男夫婦が近くの
学校への勤務である間はよかったのですが、4月の人事異動で遠い所へ赴任することからどうしても
帰りが遅くなり、薬との関係で夕食を待っていられません。だから、夕食だけ届けてほしい>
優しそうな母親の訴えであります。 毎日の炊事がままならない、高齢者と障害者を対象にした
多種多様であります。宅配給食ですから困っている理由は様々で多種多様、宅配給食にたどり着
理由も様々で人生と暮らしに、教育環境と文化の振興は人間の精神的成長を助ける確かな道であります。
教育一家の暮らしをみてつくづく思いました。教育も、文化も申し分ないけれどもただ1食の重み
に適う家庭の事情が折り合わない。大都会のど真ん中でどんなものでも直ぐ手に入るし、何をする
にも便利な暮らしと思っていたら共通しているのは、食のもつ切実な悩みと1食の持つ重みであります。
もう1つ共通しているのは高齢者にとって食以外には何の悩み?もない?
、朝から晩まで今日の宅配給食の事ばかりと言うぐらい電話での問い合わせです。
非営利の宅配給食サービス事業の“配彩”は福祉の明日を開くため高齢者の1食のこだわり!
へ確実に迅速・丁寧に応え、そして届けます。
「親のこころ、子知らず・・・」
年老いてひとり、しがない年金暮らしで10余年経ちましたと小柄なHさんはしっかりした口調で話します。
太ってもいないのに最近転んでしまって足腰を痛め立つことも歩く事も不自由で困ってしるとき介
護支援センターの看護婦さんから“配彩”を紹介されて宅配給食の申し込みをしたとのことであります。
年金では生活できず生活保護を受けているもののその保護費のことで子供(長男?)とトラブルが
ることを知り驚きました。
保護費は通帳振り込みになっているのに、通帳を長男が預かり勝手に使い込んで返さないとのこと。
子供は子どもで、通帳を握り締めているので親思いの振りをアピールしてかワンパターンの食事をつ
くり届けているのですが全然食べる気にならない代物だそうです。水道光熱費の支払いの件で、
通帳を返してもらってからは長男に通帳を渡していないそうですが、長男は「(通帳を取り上げるなら)
死んでも面倒をみないから、そう思え!・・」と捨てぜりふをかぶせたそうです。
親子のこころのケアをしながら、保護費のことで困ったときには役所の保護費の職員にしっかり相談する
ことを薦めて、ともかくも宅配給食“配彩”の即刻機敏に配達開始します。
「人は仕事をつくり(働き)、仕事(労働)は人をつくる〜?」
1日200食以上もの宅配給食をつくり、高齢者や障害者に届ける仕事は本当に生易しいものではありません。
食材を集荷し、厨房で調理させ、容器に詰めて宅配する実に多くの人々の手を煩わせなければこの仕事成
り立ちません。
沖縄県高齢者協同組合の宅配給食サービスセンターに働く方々は皆ボランティア精神旺盛な方々ばか
りで、真面目で頑張り屋ぞろいなのですがそれでも最初の頃、不愛想で無口なスポーツマンタイプの青年
がひとり配達担当に来ていたのである。
長くもちそうもないのですが、要領を話して仕事の方法を伝え様子を見ることにして、どうしても
仕事にならなければその時は暇をとらすほかに仕方が無いと決めました。
ところが、であります。ところが、その青年の根性は見上げたものです。
不愛想で、ろくろくあいさつさえもしなかったその青年は見るみる内に変化しました。
明るく快活になり、イメージが根本からがらっと変わりました。人は変わるものであり、変われるもの
であります。他方、宅配給食利<用者のなかにも、気難しい方がおられ文句が多いだけでなく来意を告げる
ブザーの押し方、ノックの仕方までいちいちうるさい方がおりました。
この方にしかられない配達担当は、これまでまったく皆無と言っていいでしょう。
ところが、であります。ところが、これ程の気難しい利用者の貴婦人をがらっと変えてしまったのが彼の
青年であります。自分が変わっただけでなく、相手をも変える程に成長したのです。
熱意と根性と宅配給食の持つ社会的意義をつかみ、仕事を通して在宅福祉への誇りと奉仕精神が“人
を変える”力を証明し見事に実証したのであります。仕事は人を変え、仕事は人を創るのであります!
「在宅福祉の要(かなめ)、日々の食へのささやかなこだわり・・・?!
戦前、南洋パラオへ御主人のカツオ漁業で渡り美しい島で楽しく暮らしました。
パラオの思いでは島の美しさと雨ですネ。名前は忘れましたが(スコール?)道の半分は雨・
半分は晴れなんです。線を引いたように、不思議なんです。その南洋で日本軍は、兵隊が
足りないからと何歳以上の日本人は集まれと紙に書いて張り出し、集まった人々を整列させ並んだ順に
1番から必要な人数まで読み「ハイ、ここまで!」と打ち切るのです。
名前も、手続きもありません。国内に居たら、名前を大書して出征を祝うのにここでは何にもあり
ませんでしたネ。生まれた子供達を病で亡くし、南洋を引き揚げ沖縄にきて戦後生まれたのがひと
り娘の「この子です」と自慢の娘を紹介しました。
南洋を引き揚げ、裁縫で生計をやり繰りする程、針仕事が好きで40年余りもつづけました。
針仕事は座りっぱなしでやる仕事、いつの間にか足をやられてしまいましたと振り返ります。
御主人を10年程前に亡くし、以来母ひとり娘ひとりの暮らしですが娘が仕事にでかける朝、
自分の弁当を作りながら母親のお昼ご飯も用意してくれますが仕事が終わるのがいつも午後9時
過ぎとなるため、晩ご飯がいつも遅くなるので大変困っていました。
そこえ、役所の福祉課の職員と地域の民生委員さんから“配彩”を紹介され宅配の申し
込みをされたのでした。
ささやかな親娘ふたりの暮らしのなかで、楽しみは食事時間・・・と・・・茶の間の語
・・・そして・・・テレビです。
なかでも、身体と健康に充分気をつけるために一番大事にしているのが食事であります。
楽しいのも食事なのですが、悩む?のも食事(何にしょうかナー)・心配なのも食事(これで
いいのかナー)・うれしいのも食事(褒められたりして)、食事を巡って喜怒哀楽がふたりを回
ります。この地上に、肉親はふたりだけです。
若干の縁故者が居ないわけではないのですがこの地球上に厳然たる肉親は親子ふたりです。
だから、ふたりは食にささやかなこだわり?を持っているのです。
健康予防と安心メニュー。
バランスのいい配食と低カロリーの宅配給食。何と言っても高齢者と障害者に優しい“配彩”弁当
です。家庭訪問を受け、喜んだおふたりは説明を聞いて自分たちの要請にピッタリ!となお大喜び。
悩みと心配だった母親の夕食が解決し、仕事に専念出来る身軽さよりも“配彩”弁当の内容に喜んだ
娘は訪問担当者に感謝と礼を忘れませんでした。口にはしない、慕い慕われる親子の情の見事な濃
やかさに訪問担当者は逆に、感謝と礼を倍にしてお返ししたのでした。
母へのいたわりと食への感謝、若い娘のしっかりした思考に民生委員も福祉課の職員も応えたのでしょう。
宅配給食業の“配彩”も、みんなの要請と期待に応えて完全確実に日を置かずに宅配を開始します。
「那覇市の在宅福祉のネットワーク・・・宅配給食」
配達担当 ⇒ “配彩”事務局 ⇒ 那覇市老人福祉課在宅介護支援センター ⇒ 救急車出勤 ⇒
入院収容・・・人命尊重の愛のリレー展開!!
那覇市の宅配給食を利用しておられるひとり暮らしのご婦人が、朝の玄関のカギを開けに立った8時ごろ、
ふとしたはずみに足を取られどこをどうしたのか倒れてしまい、起き切れなくなってしまいました。
その場にうずくまり、助っ人が現れるまでジィーット我慢で朝食もおろか、電話もままならない一人
住まいのわびしさと不安を思い知らされ憔悴しきった様子です。
そこへお昼の宅配給食の配達担当者が現れ、倒れたご婦人の第一発見者になってびっくり仰天。
配達ボランティアの中から選ばれて那覇市の宅配給食担当になった小浜さんは発見の状況報告と
対処策について事務局“配彩”に連絡。その後、小浜さんはご婦人から教えられて在宅介護支
援センターにすぐさま連絡をとりました。
第一発見者の配達担当者小浜さんは、配達が半分残っていても在宅介護支援センターのヘルパー
さんが到着するまで現場を離れられません。
事務局ではそのまま現場待機の措置をとり、一方那覇市から宅配給食の委託を受け
ている沖縄県高齢者協同組合の配食サービスセンター“配彩”は、遅らすことが出来ない
給食の宅配を代わって配達する代替要員を現場に向かわせました。
その間に、那覇市の老人福祉課の担当者に報告を入れ機敏に対応したのは当然です。
当初、ご婦人は痛いけれどもたいしたことはない、大丈夫と病院へ行くのもいやがっていた
ご様子でしたが後で調べた結果はなんと骨折していることが分かったそうです。
救急車で大事を取って入院となったものの、この1件は在宅福祉の有り様が「人の生命 にもかか
わる重大なものとして教訓を残しました。それにしても、那覇市の在宅福祉はそのネットワークの
素晴らしさを見せました。
那覇市の委託を受け、給食を届けに行って倒れているご婦人が発見され・・直ぐさま高齢協事務局へ
・・那覇市老人福祉課の担当者へ・・同時に在宅介護支援センターへ・・救急車が到着・・・ご婦人
病院へ収容・・在宅介護支援センターの担当者の手際よさと専門職の技は見事。その鋭さをバック
アップして育てている那覇市の在宅福祉政策を評価すべきなのでしょう。
人命尊重の愛のリレーでした。
「玄関の鍵の役割と、鍵のもつ意味」
この事例集にも取り上げたことがありますが、宅配給食を利用される方は家庭での何らかの切実な
事情があって宅配の申し込みをされます。利用者のほとんどが、ディサービスに行ったり、リハ
ビリに通ったり、長い生活では突飛な用事もでたりで留守にすることもままあります。
その留守の対策で、御自分の玄関の鍵を私達宅配給食の配達担当者に預け不在の時は玄関の鍵を
勝手に開けて、お弁当を中に入れて置いて下さいと言うものであります。
前には、御自分の預金通帳と印鑑を預かって欲しいと差し出した目の不自由な方もおられましたが、
鍵を預ける方は確かこれで3回目(3人目)でしょう。
自分の家の玄関の鍵を預けるこころ・その行為は何を意味するのか?・・・弁当を届ける・
元気になってほしい・健康を守る食・健康は自分の一番大事なもの・その大事な健康の食を
届ける担当者・安心のこころとこころのひびきあい・・・・そこから絶大な信頼と信用が生まれ、
ひびき合うこころの範囲に包まれ安心して鍵を預けることになったものでしょう。
しかし、最初から何もしないうちから信頼関係が樹立するもではなく、こころを込めた配達担当者
の態度や接触する宅配給食スタッフの対応と良い印象が積み重なり、一点の曇りもなくすっかり信用
出来た証しとして、大事な玄関の鍵を赤の他人である配達担当者に預けたのでしょう。
食のもつ縁は、実に深遠なものがあるのであります。
配達名簿の台帳の上に置かれた無造作な鍵を見るたびに食を巡る人間模様と信頼のきずなの強固な
意志が伝わってくるから不思議であります。それでも・・・ネ、こんなとき貴方なら玄関の鍵を他人
に任せますか・・?
ちなみに、その方は那覇市の高齢者宅配給食の利用者であり、“配彩”が委託を受け宅配給食を届け
しております。
鍵を預けた宅配給食利用者はさわやかなれど、鍵を預かった配達担当者のこころは重たくゆれて
「大事な鍵・本当は預かりたくはありません!ヨ」と一言ポツリ。
「震えていた担架の上のおばあさんの手が安心なさって、ピタッと止まり・・・」
救急車出動要請事件は今月8月25日午後5時半那覇市樋川で起こりました。
月曜から土曜日までの週6日間、昼も夜も毎日宅配給食をお届けしているおばあさんは成人した男の
お孫さんと二人暮らし?のようです。
お昼は元気で「有り難う」の声で受け取った宅配給食を、夕食を届けに行ってびっくりしました。
部屋と部屋の、仕切りの上で倒れているのではありませんか。
ちょっと戻したのか、口から唾液がこぼれ顔も蒼白で息も絶え耐えです。
配達担当者の阿嘉さん、すかさず声を掛けおばあさんに合図を送ってから状況をチェックし急いで隣の
部屋に駆け込み電話を借りて119番通報しました。
5時半に通報して、5分も待たず救急車が到着しました。第一発見者の阿嘉さんは、宅配給食の“配彩”
の配達担当者であり夕食を届けに来て発見したこと、倒れていた状況等をかい摘まんで説明し救急病院
へ搬送を頼みました。そこはベテランの元消防隊員の阿嘉さんの事です。
その状況をつぶさに報告してきました。報告を受けた、事務局の上江洲さんもまたベテランです。
阿嘉さん配達コースの樋川Kおばあさん以降の利用者宅へ全部電話を入れ事情によりちょっと遅れる
お知らせとおわびをやり抜きました。併せて、Kおばあさんの御家族に至急の救急病院への搬送を
伝えたのは当然です。
大正2年生まれの85歳のおばあさん、普段から頑固な島言葉の上に歩行も困難で近所付き合いもあまり
ないようです。
常日ごろ、部屋にひきこもりがちなおばあさんがいきなり、見知らぬ救急隊の男共に抱えられ担架
に乗せられてびっくりしたのでしょうかブルブル震えていました。そこは慣れた阿嘉さん、優し
くおばあさんの手を握り「もう、心配はいりませんよ。安心ですよ」と励まし付き添ってやりました。
やはり、驚いて口も聞けないおばあさんは手を取って声を掛けてくれる阿嘉さんを見てすっかり
安心したのでしょう、手の震えがピタッと止まり安らかな顔をしています。
身体の不調と、85歳と言う高齢でしかも離島出身であまり身寄りもないわびしいアパート住まいの
おばあさん、ご自身が自分自身をどうしていいかわからない状況で救われ、介護されて初めて人の情
けを体験されたのでしょう翌26日朝9時半頃になってお孫さんから丁重なお礼の電話が入りました。
お孫さんは、「お陰様で、その日のうちに元気になって帰って来ました。有難うございました。
」
と律儀なまでの丁重なお礼の電話であります。
時には、わびしい高齢者・予期しない発病・心配のあまり手の震え・優しく握り締める・手の震え
ピタッと止まる・安心と安らぎ・85歳の宅配給食利用者と配達担当者の「愛のリレー物語り」
であります。
「医師と看護婦夫妻の、ご両親へ宅配給食の依頼が寄せられ」
離れて暮らす年老いたご両親は、朝食は毎日の事ながら看護婦をしているワイフ(奥さん)
が出勤まえに行って調理していますから楽しく食事をしているようです。
お昼は普段は何時もディサービスでとっているので何の心配もありませんが、夕食はどうしても
患者相手の病院の仕事に携わる関係で(医師と看護婦の息子夫婦)はご両親の夕食の手が回りません。
御主人が医師で夫人が看護婦を勤める息子夫婦は病弱な父と最近足腰がめっきり弱くなった母を抱え、
何時も夕食が心配の種になっていました。
前々から、配彩の宅配給食の事を知ってはいましたがお年寄り夫婦の夕食の取りつくろいは家族で
やり繰りをしてきました。
しかし、やはり無理な体勢での対応には限度があって、最近は両親にしわ寄せがかかって心配ばかり
していました。
そこで、思い余って配彩にお願いする事になりましたと気の優しいドクターは診察室で対応していた
だきました。看護婦の奥さんも顔をだしてよろしくお願いしますと、丁重なあいさつです。
近代的な立派な病院にドクターが居て、待ち合い室に患者さんがあふれ、看護婦が立ち振る舞い
してどこにも心配事があるように見えない病院にも、家族に心配事を抱えて居たとは人生実にわから
ないものだとしみじみ思いました。
当面は夕食だけ届けてほしいとのことで、早速配達担当にお願いして明日から(事前に根回しをして
いた関係もあって)宅配を開始する事になりました。
医師は患者さんを目の前に座らせて診察するのが当然ですから、そんな習慣からでしょうが「(宅配す
る相手を確認するためにも?)ご両親をここに呼ぶから会っていきなさい」と先生。
説明を聞いただけで充分と考えている“配彩”面接担当者。診察室が忙しくなったことを引き合いに
おいとまして帰りましたが、患者同士の飛び交う声は元気でも、
陽と陰の交差する患者さん待ち合い室を通って玄関にでて、振り返ってみますと丁寧に医師が見送って
いたのにはこっちが恐縮しました。
近代建築の、枠を集めて建てられたであろう病院の表向きではしることのできない家族の悩みを、
配彩のNPOの精神でお届けする宅配給食が大事な高齢者の食を解決する役割をはたす事は大きな
誇りでもあり、仕事を通して実感する福祉活動への充実感にもつながるものがあります。
厨房の仕事も・宅配及び集金業務も・すべてこの使命感に支えられた活動でありこれからめざすもの
も結局、根拠はこの精神に拠るものであります。
高齢者の、在宅福祉の一層の充実と地域参加型福祉の発展のために!“配彩”への期待に応えて、
一層の前進を決意して!
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